恥的財産ってなに?

恥的財産 shameful property 、
知的財産 intellectual property の一種。

死後30年とか50年70年にもわたって恥をさらすことになる負の財産。

例えば、現在の英知からすると
地球岬に立って肉眼で海面だけを見てもわかるであろうのに地球は丸くないとか、
天空の星々や太陽までも唯一の中心として地球の周りを回っているとか、
原子はそれ以上細かい何かからできてはいないとか、
情報が光速より早い速度で伝達できないとか、
そんなのはとてつもなく非常識で莫迦な奴であるように

そのとき如何に未熟者であったかが表現されていて、
他の人が知り得るようになっている記録や情報、あるいは物体・勿体。

また、万人に等しく理解されなくても良いと鼻で笑う作者が作ったような
芸術などの文化方面に分類される著作物。

日本国では、自然人が何らかの有体物や情報を作り出したときに、
(その一つが著作権として)当人の意思とは無関係に発生してしまう権利であるとの
見解が一般的である(プロジェクト主宰調べ)。
権利と義務は表裏一体のものであるので、
つまり公共の福祉に反する場合には
それが恥や問われるべき社会的責任としてさらされる義務も否応無しに同時発生する。
著作権そのものは放棄できないとされるのはその為であると解釈できる。

しかし、百年経ったところで、読み人知らず(作者不詳)とする不名誉からの解放
をしてもらえない可能性すらある、ある恐ろしさを持つ義務である可能性もある。
数百年程度であれば、鑑定と称して調べ尽くされた結果、
作者が見つけられてしまうことが多々見受けられる。そしてテレビなどで
作者の意思に無関係かつ勝手に値踏みされ広く晒される例も多い。
現代の記録保存技術だと、未来永劫追跡され恥を晒される可能性は高い。

恥的ではない立派な知的財産も、
権利は何らかの義務と共に発生するものであると解釈できる。
知的か恥的かを区別する方法としては、鑑定人という権威をもった<上位>の人が、
「いい仕事してますねぇ」というかどうかで判定される方法が広く知れわたっている。
そのせりふを吐く代わりに、
口から墨を吐き、対象物に付けることで、「お墨付き」という手法もあるらしいが、
その墨を紙に吸収転写したものは文字列を形成し、文のようにみえることから、
筆にて書かれた鑑定文書のことであると思われている。

ちなみに、恥的は、各単漢字をほぼ日本語の読み方をして homophone(homonym) となる
造語(英語ではneologism というあたりなのでしょうか?)です。

なお、当プロジェクトにおいて、
「バカ」は「莫迦」であって「バッカ」でもありますが、「馬鹿」ではありえません。
ばんば―ばんえい競馬の馬を見ましょう。
人間なんて非力なのに、あれだけの力を持っている馬に例えることは
適切であるとは思えません。テレビ画面からでさえ熱気と迫力が伝わってきます。

また、<他の種類の> 競馬に登場する、サラブレッドでさえ
体重は半分程度と小柄ながらも、走る速度はすごいです。
しかも、馬肉を使ったニューコンビーフ
(100%ビーフじゃないのが許せない勢力によって強制的に改名され、
現:ニューコンミート、あるいはコーンドミート)は、
独特のおいしさを持っています。このように、馬は立派な地場産業商品です。

鹿にいたってはそこそこ高級な食材です。
また、鹿には自然遺産の中に不自然な頭数が居てもそれは重大問題にならないほど
高い特権が与えられていて、そのため、網(など)で一網打尽にするわけでもなく、
人間は銃による狩猟によって遺産たる大自然からチマチマと戴くわけです。
天然モノはエサの栄養価"など"があっておいしくないと思う人も多く、
人間の食用には、しばらく畜養したものを出すーつまり、穏当な捕まえ方をするー
ようになってきていて、銃で仕留めたものは、
元来バリバリ肉食の「お犬様用食品」として粗末にせずに利用されつつあるようです。

世界自然遺産の中に人間が不自然に多く居た場合を想像してみましょう。
それこそ網張ってフェンスとし、一人たりとも入れないように囲い"出される"ことでしょう。 "締め出される"という言葉のほうが一般的かもしれませんが、
オープンなのは大自然であって、人間さまのほうは閉じ込められると考えるべきでありませう。

仮にコントロールされるのが人間の自由ではなく獣である社会でも、
馬も鹿も、いわゆる「バカ」になんぞしてはいけない重要な商品なのです。
宗教・思想上、牛・豚・鯨などを食料として認めていない社会・人々は多々ありますが、
馬と鹿両方を食べることを禁じたりする「大きな」社会は
まだ聞いたことがありません。

世界の陸地面積的にみると、馬肉食禁止運動は広がりつつあるようですが、
北米大陸って大きいから.....

獣類全部禁止とか、鳥・魚類、非脊柱動物も含め動物類全部禁止、
植物でさえ生きる事を目的に生えているわけだから、
食べてもらう事を目的とした果実だけが食料であるという人々はいますが、
人類全体に比べればかなり<小さい>社会であるとみなしています。

ゆえにこの二種類の組み合わせで、どちらも食べられない人口は少なく、
食肉市場として、潜在的需要が著しく大きい可能性があります。
両方を組み合わせたものは、いまでは「馬鹿もん
として知られつつあります。このように、「馬鹿」とかくと、[うまか] とよむわけです。

ここで、北海道という地では鉛弾が禁止されている条例が制定されているそうで、
銃弾には多くが銅弾が使われることに注意すべきです。
このように、電力・情報伝送以外にも金属銅は重要な役割がある資源だと
再度認識しましょう。
(他の地域でも)鉛弾のほうが威力はあるかもしれませんが、
有害性と環境汚染性の点から可能なら回避すべきであり、
有害性と環境汚染性を考慮しなくて良いなら、
劣化ウラン弾やプルトニウム弾などがより威力的であり、
資源量が問題ではなければ金弾が獲物を食う人には安全で威力的であります。
白金弾や銀の弾というのもアリかも知れません。
銅資源を大量海外流出させ価格をより高騰させる事で、
電気伝導性が優れ比重が重いのに非常に化学的安定性の高い金が銅と同じ程度の
気楽さで使えるようにはなるでしょう。
しかし、銅を高値方向に導くことが良いことなのかは考える余地があります。

弾の表面がやわらかい金属だと、銃のほうが詰まって危険になることもあるそうです。
が、21世紀の世界であるからには、標的が人間であるかどうかを検知できる機能が
標準的に備わっていてもおかしくないと同程度以上に、
やわらかい金属の弾は対応しているべき銃の機能でありましょう。

ちなみに、新しく北海道民になっても
"新米の道産子"などといってはいけません。
道産子は人以外を示す生命体品種であり、原産地・産地を示すものでもあるので、
それらを、自らが ―馬力のある―高出力生命体であると偽装する行為として
行政によって取り締まられるべき可能性すらありえましょう。
新米も生産年問題や、食糧の根幹を支える重要な穀物を自分と偽る偽装もあります。
単なる品種問題ではなく、
光合成植物と二酸化炭素排出動物という、非常に根本的な差異があることは重大です。
だから、そういうことを言うのは(好意的であろうけど)"ちじさん"といわれます。
"よっ、大統領"とおなじように、大物である"知事"を示すのでありましょうか、
"恥事"なのかは音声からは判別が難しいものです。

なお、誤解されがちな風潮がありますが、
<二酸化炭素がきわめて重要な資源物質>であることを一瞬たりとも忘れてはいけません。

2006年の日本でも消費エネルギーの23.1%を占めているらしい
石炭は重要な資源であるというのは良く理解されているようですが、

二酸化炭素は、他国がコストをかけ製造したものが大量に空気中に漏出しており、
それがなんと、無料で日本の領空に流れ込んでくれるのです。

さらに、鮭[しゃけ(地域によってはサケともいう)]のような魚では、
母川国主義という、原産国が強く主張できる権利になっていますが、
二酸化炭素は原産国の所有・利用権が確立しておらず、採ったもの勝ちなのです。

(ウランからプルトニウムは作れますが、)ウランそのものを消費して行った場合、
人類はウランを作り再び手にすることができるのでしょうか。
できるかといえばほんとはできます。話がややこしくなるけどっ。
トリウムから作れて、でも、核種が違うし、作って使おうとすると
要らない放射性物質(ごみ)いっぱい出るだろうて大変そうだし....
エネルギー源としていつの日か実用な技術になるといいなぁ....

それに対して二酸化炭素なら太陽からのエネルギーを使って
ほぼ全ての石油成分を作ることができるんです。地熱や火山噴火エネルギーを
利用できるかも知れません。
例えば北海道には、昭和新山という火山があります。地表から噴出はしませんでしたが、
畑が盛り上がって山になったのも火山パワーであって、そういう穏やかなエネルギーは
ほかに転用できる可能性がありましょう。

そう考えていくと、
日本は「資源が乏しい国」というのは本当でしょうか。
世界文化遺産、石見銀山 というのがあります。
その地域の人々ではなく、そこから先、国内に流通してからの問題なのですが、
「乏しい」のではなく、"銀"-その本当の価値を理解しない当時の日本人が、
今あるいは近未来に考えると、タダみたいな価格で(他国)世界にばらまいてしまって
「銀資源の底が尽きてしまった」
だけではないでしょうか。
「当時の世界の何分の一」というのは、例えば、
「愚かな日本の例」と対になってはいないでしょうか。

二酸化炭素は大気中濃度が減ったところで、無くなるものではないでしょうから
銀ほどに価値が上がることは無いでしょうが、
「大気中から除去する」ことに経済価値が発生することになります。
しかし、地球温暖化といわれていますが、何らかの理由にて
いきなり<プチ氷河期突入>が起こる可能性も正当に検討すべきで、
場合によっては、大気をじゃんじゃん暖めなきゃ...なんてことが起こる可能性も
全否定すべきではありません。
科学的手法による正当な評価する余地が確保されている事は
当プロジェクトも要請しています。
それに則ってリスク・経済価値評価はされるべきです。

自由経済というのは親切に価値を教えてくれる社会ではありません。
手のうちを隠し、あるいはだましたなどと罵られてでも
安く手に入れ、高く手放すことで大きな利潤を得るわけです。
#もちろん極論です。<何事にも限度がある>という言葉もあるように。

そして、
たとえばこれも文学として販売したら、何部かは売れるかもしれませんし、
オンデマンド印刷や設定する価格によっては、
"総額で何円か"でも利益が出てしまうかもしれません。

このように、知的であるか恥的であるかに関わらず、
考えることによって、ゼニに変換できる原資と成り得る
(成り得る = 実現性ではなく、そう考える人が現れると予測し得る)
のが、ちてきざいさん、です。

当プロジェクトは
このプロジェクトは「成功」するの? のように自らが稼げそうにもない
(稼げそうにもない、なんてエエカッコ付けません、まぁ、稼げません。)ので
プロジェクト本拠地をさらに豊かな地域(ここでは国くらいの規模をさす)にしてもらい、
その恩恵を受けるために
考える余地・人材発掘育成の余地を要請しています。

なお、「搾取か」という狭い考えも一部にはあるようですが、
地域全体が豊かになるほど、職が増え、就業が楽になり、
より楽な労働でもより良い生活が送れるようになり、
地域内の人々が自立的によい経済活動をできるようになります。
「地域に搾取されている」と苦痛に感じる可能性があるとすれば、
その人はその地域でその金を使わなければ良いだけなので、問題ではありません。

よって、プロジェクト主体の同人もNPO(NON-profit org.) ではなく
DPO(Do profit! org : 儲けよ! (と呼びかけまわる)組織) であります。

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